須貝 太一と申します。生まれてから6歳までアメリカに住んでいました。その後は、小・中学校を日本で過ごし、また高校からアメリカに戻り、今年5月にアメリカのネバダ大学を卒業しました。現在は日本の法科大学院を受験しています。
アメリカの大学での過ごし方
親元から離れてシェアハウスで暮らしていました。ルームメイトには、アメリカやレバノン、トルコ出身の方がいらっしゃいました。全員男子だったので、料理はあまりしていなかったのですが、各国の料理を食べに行き、文化を共有して楽しんでいました。
ーアメリカと日本の教育でギャップに感じたこととはありますか。
自由度の違いを感じました。アメリカは、好きなことをやっていいよという方針で、例えば合唱の時には、「歌いたくなかったら、トライアングルを演奏しておけばいいよ。」というように自由な感じでした。一方で、日本はみんなで一緒に行うという風潮が強く、協調性が身に付いたと思っています。
将来の夢は何ですか?
法曹という枠にとらわれず、自由に様々なことに挑戦し、多様な分野を専門とできる弁護士になることです。
ーいつ頃から弁護士になりたいと思うようになったのですか。
大学入学時は、元々医療系の学部でしたが、コロナ禍で弁護士は法律のスペシャリストでありながら、実は法律は多様な分野にまたがっていて、ジェネラリスト的な要素もあり、そこに魅力を感じるようになりました。
ー弁護士としての具体的な目標はありますか?
テクノロジー系やプログラミングに興味を持っているため、IT関連の企業の支援に携わりたいと思っています。
また、私自身もいつかスタートアップを立ち上げてみたいと思っているので、スタートアップの支援も行う弁護士になりたいと思っています。
大切にしているルーティーンはありますか?
1日9時間の睡眠をとることです!
大学3年次に、日本の企業でインターンを行っていました。周りもショートスリーパーが多く、4,5時間ほどの睡眠を取る生活を送っていたら、かなり体調を崩してしまいました。
その際、もう少し睡眠をとった方がいいのではないかと思い、一度何時間睡眠が自分に合うのかを試してみました際に、9時間にたどり着きました。
インターンシップでは、どのようなことをされていたのですか?
5つのインターンシップを行っていました。1つ目は政策政治系のシンクタンク、2つ目は法律事務所、3つ目は大学のNPOで働きました。4つ目はソフトウェア開発やコンサルティングを行うスタートアップ企業で働き、5つ目はAI開発を行う企業で働いていいました。
ーどのようにご自身の中で優先順位を付けて選択されていたのですか。
やっていて楽しいことは絶対に続けようと心に決めていました。
その時々によって中期的な目標を立て、その目標を到達するために必要だと思ったものに取り組んできました。逆に、自分のやりたいことや叶えたいことと、親和性のないことは行わないようにしていました。
人生で時間を忘れるくらいに夢中になったこと
テニスです。最初は、テニスコーチであった父の影響で、なんとなく幼少期にテニスを始めました。しかし高校生の際の初めての試合でボロボロに負けてしまい。負けず嫌いな性格なので、そこからは暇さえあればテニスばかりしていました。
また、コロナ禍で何もできることなくなってしまってしまった際に、シューティングゲームを一日中行っていました。最終的には日本の全国大会に出て、延べ数千人の方が参加されていた大会で、日本全体で4位になりました。
大切にしている価値観はありますか。
好きなことや興味があることには妥協しないことです。
原点は、幼少期から様々なことに興味を持ち、挑戦していたことにあると思っています。また、両親からもありがたいことに、興味持ったことに自由に挑戦させてくれる環境をいただいていたので、様々なことに挑戦してくることが出来たと思っています。
エニーに関して
ーエニーに入ることを決めた理由はなんですか?
お話をお伺いして、面白そうな事業を行っていて、またユニークな方が多くいらっしゃるところに魅力に感じたからです。
ー第5回のミートアップでは、パネルディスカッションを行っていましたが、感想をお願いします。
とても楽しかったです。様々な方とお話をすることができたり、他の方の価値観や考え方に触れることができたりと、貴重な機会となりました。一方で、目の前に多くの方がいらっしゃったため、とても緊張して手足が震えていました。
最後に白色を選ばれた理由を教えてください。
様々なことに興味をもって、いろんなことに染まることが多いので、どのような色にもなれる白にしました。
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