お互いがお互いの「遠い存在」であり、想像力の幅を広げるエニーの存在
3期生
宮澤 優輝 / Miyazawa Yuki
宮澤優輝さんに、将来のグローバルリーダーに必要な自己認識とビジョンの解像度を高めるエニーのプログラムをとおして得た学びと成長について聞きました。
エニー に参加した目的を教えてください
ー 自分自身も、社会の未来に投資できる勇気と寛大さを、どうしたら育めるかを考え始めるきっかけに
エニーに参加したのは、自分の人生のターニングポイントが他人との関わりから生まれたことが多いと認識しているからです。自分の内面をとらえて考えることは重要ですが、自分の思考は過去の経験や過去の自分の在り方に決定される部分が大きいため、どうしても今の道の延長はできてもターニングポイントにはなりにくいと思います。一方で、自分とは全く異なる、共通性が低い人と関わることは殻に閉じこもった状態を自分で叩き割るようなことだと認識しています。例えば、私は中学3年生の時にインドへボランティアに行きました。その時に、スラムに住む方の話を聞くこと、一緒に参加した全く知らない人と話したことが大きく価値観を変えました。それが、今思えば人生のターニングポイント1つだったのです。
「6.9 人の大人で 1 人の次世代の成長を支える」というコンセプトのもと与えられる支援は将来への展望を少し明るくするものでした。少子高齢化などの問題でぼんやりとした不安を抱える中、視点を転換することで希望を見出すコンセプトだと自分はとらえています。その中で、支援してくださる方がいらっしゃることは少し希望が感じられる事実でした。実際に、支援してくださっている方にお会いした時も、丁寧に相談に乗っていただきました。なにより、自分自身も、社会の未来に投資できる勇気と寛大さを、どうしたら育めるかを考え始めるきっかけになりました。それが、最も感じることができてよかったと思える観点です。
エニー では自己認識力を高めることを一つの目的としていますが、ご自身はどんな人間だと思いますか?
ー 今までは自己のストーリーを語ることができなかった
私は、物事を一歩引いて、上から全体像を見ることができる人間だと考えています。例えば、前提条件、そしてその条件が影響を与えている範囲を明確にしようという欲求があり、不明瞭な部分があるとそわそわして明確にしたくなります。
このような、自分の根本にあるものを認識できたのは、エニーを通じて断片的に理解していた事柄の基盤を見ることができたからです。好奇心があること、合理的に考える癖があること、感情的になることが少ないこと。これらは自分の特徴だと考えていました。しかし、これでは取り止めがなく「自分はどういう人間か」と聞かれた時に、自己についてのストーリーを語ることはできませんでした。ですが、メンターとの話し合いや、自分の特性の言語化、行動や言葉の根本にあるモチベーションや特性を考えることで、自分の様々な側面に共通している基盤を見つけることができました。その共通する基盤が「一歩引いて全体像を見ること」だったのです。好奇心は全体像を見て、そのどの部分が欠けているかがわかるから生じていました。そして、合理的に考えるのも影響する様々な要因を考える癖があるからであり、感情的になることが少ないのも一歩引いて全体像を見ることを好むからだったのです。「わかりやすい自分」「突出している自分」「認められている自分」にばかり目が行ってしまうこともよくあるため、このような自分の根本を考えるプロセスは必要不可欠だと思います。
大切にしている価値観や自分軸について
ー もともと持っていた価値基準に新たに加えられた価値観
私が大切にしている価値観は生まれ持った特性を活かすことです。確かに、人は変わりますし、いくつになっても学び続けることは重要だと思います。ですが、生まれ育った環境や、生まれた時からの特性は、輪ゴムのようにある程度は変化するものの、変えようとするほど限界が近づくものだと思います。なので、「自分は全体像を一歩引いてみる」という特性や選好を理解し続け、その1つの生まれ持った特性から100を生み出すことを重視しています。
また、エニーを通じて社会課題や社会貢献について考える機会がありました。そのため、従来は考えていなかった、自分の1つの特性から100を生み出す中でも、生み出した100のことが誰にどう役立つだろうと考えるようになりました。エニーで行われた議論や話、そして支援者の方の存在もあり、自分の1が結果的に社会に役立てればという思考回路も生まれ、自分の価値基準にもなりつつあります。もちろん、社会のニーズから考えることも大事ですが、それでは「根無し」とも表現できる、社会の潮流に流されるばかりの人になってしまうと感じています。ですので、まずは確固たる1を活かし、その結果生み出されるものがどう社会に役立つかを考えるということを、今の時点では重視しています。
ビジョンについて
ー 本当の意味で「多様性」が実現される場所を、少しずつでも作っていきたい
私は、本当に意味で多様性が実現される場所を作りたいと考えています。一般に多様性とした場合は、「人種」「ジェンダー」などが思い浮かべられると思います。そして、どのようなタイプに分類されても、そこに良し悪しがあるわけではなく、それぞれに良さがあるというようなイメージが浮かぶと思います。ですが、このようなコンセプトを掲げ、多様性の考えを普及させるだけでは不十分と考えています。
一般に「よくない」と考えられがちである特性を持つ人もいることを認識したうえで、その特性を客観的に理解し、その特性が弱みから強みになる環境を構築することを多様性と考えています。例えば、ネガティブ思考、協調性が低い、思考の柔軟性がない。これらは、環境次第で強みにも弱みにもなるはずです。しかし、実際問題として、これらの特性を直すべきと考える人もいるでしょうし、そう考える人なりの論理があるはずです。ですので、全くもって不合理とも言えないでしょう。このような状況があると認識した上で、だからこそ誰が見ても「違うこと」が「強み」として捉えられる環境を作る必要があると考えています。例えば、ネガティブ思考の危機察知能力が生かせる品質管理の役割、協調性の低さが生かせるようなアントレプレナーのための環境、ある種の頑固さが必要な逆境に立ち向かう立場などです。このような、環境が今より少しでも作られること、そして作る努力をし続ける世界を私のビジョンとして掲げます。
優輝さんが思い描くグローバルリーダーとは?
ー 多様性を創造と理解の種にできる人材
グローバルという言葉はそもそも、国の境界をまたぐことを象徴していますが、人間はこれまでも様々な境界をまたいでいるのではないでしょうか。別のクラスとの共同作業、近所との付き合い、別の組織の方との協力、他県出身の方との出会いなど。なので、グローバルリーダーも、様々なクラスをまとめる生徒会長も本質的には同じで、程度の違いに過ぎないと考えています。ですので、言語や文化などの観点からは「そうではない!」という意見ももちろんあると思いますが、グローバルリーダーはこれまでの世界と全く違ったスキルが必要だと考えています。
グローバルリーダーは「違うこと」の許容度が高く、「違うこと」をマイナスではなくプラスに生かすことができる人材と考えています。文化や言語、価値観がこれまでよりも大きく違う中で、それを否定せずに許容できること。そして、その多様性を無駄な対立やいざこざの種ではなく、創造と理解の種にできるのがグローバルリーダーではないでしょうか。そのためには、多様な方が、その「違うこと」を強みとして扱える仕組みや環境を作り、全員が「違うこと」を「強み」として捉えられるようにすることが必要だと考えています。
エニーのステークホルダーとどのような関係性を築いていきたいか?
ー お互いがお互いの「遠い存在」であり、想像力の幅を広げる存在
長期的かつ、いい意味で弱いつながりを築いていきたいと考えています。人間の関係性には、必ずギブ&テイクがあると思います。ですが、ギブ&テイクがどれだけ明らかに見えるかにはバリエーションがあるはずです。例えば、交渉の場で与えることばかり考えることはないでしょうし、家族との関係性は常にギブ&テイクで考えている人は少ないのではないでしょうか。その違いを生み出しているのは、どれだけ長期的な関係性を想定しているかだと思います。交渉の場では取引関係であり、契約にのみ時間が拘束されているため、今与えて、今受け取るという方向に進みやすいのではないでしょうか。一方で、家族に関しては一生涯かかわるため、この瞬間に何かなくても、巡り巡って自分に戻ってくると考えるのではないでしょうか。そのため、エニーで出会った仲間などとは、後者の長期的関係性を築きたいと思っています。それは、すぐに与えて、すぐにもらうという関係性が、本当の多様性の実現のために多様な人を理解する経験、そして自分の想像力の幅を広げるプロセスには適していないと思うからです。
一方で、エニーで出会った仲間は今、弱いつながりでつながっています。なぜなら、このプログラム以外、つなぎとめているものがないからです。だからこそ、持っているバックグラウンドや考え方が違うと考えています。そのため、お互いがお互いの「遠い存在」であり、想像力の幅を広げる存在であるのだと思います。ですので、例え感情的なつながりを醸成しても、いい意味で弱いつながりを維持したいと考えています。より具体的には、違う環境に身を置き続けたいですね。
現代の日本の大学生における課題は何だと思いますか?
ー 分かりやすいものに目が行きがちで、バランスに偏りが生まれている
戦略性です。日本の大学生に限られるかはわかりませんが。まず、特定の知識がないこと、特定のスキルがないこと自体を問題視はしていません。それは、「違うこと」であり、強みにも弱みにもなると考えているからです。しかし、その「違うこと」を戦略的に運用するという視点があってもいいのではないかと考えています。
ここで考えている戦略性は、相互作用する様々な要因をとらえて、その中でのクリティカルヒットを探すことです。仏教には、あらゆるものが因果関係のネットワークによって成り立っているという世界観があります。これを、「縁起性」といいます。イメージとして、いろんな要因が蜘蛛の巣のようにつながりあっているといった感じです。実際に、人間関係、取引関係、情報拡散には様々な要因が影響しています。戦略とは、この全体像をとらえ、様々な要因の中で、どの要因を変えるのが「クリティカルヒット」になるかを考えること、そしてそれに対して自分の強みを運用することだと思います。
しかし、私ももちろんそうですが、空間的に近い要因、時間的に近い要因、そしてなによりわかりやすい要因に目が行っている気がします。キャリアを例に取り上げると、空間的に近いハードスキル、つまりプログラミングなど形のあるスキルを過度に重視する一方で、目に見えないソフトスキルを軽視しているのではないでしょうか。また、長期的に大きな差を生み出す習慣より、短期的に関連する大学の課題や就活。そして、わかりやすい収入や仕事のタイトルなど。もちろん、必要ないわけではありませんが、バランスに偏りがあるのではないでしょうか。そして、その戦略の第一歩となるのが確固たる自己像や強み、軸であり、そこがハッキリして初めて、様々な要因の関連性や、そこに対するクリティカルな働きかけができるのではないでしょうか。
インディビジュアリズムが加速する中で、個人の状況に合わせてカスタマイズが可能なメンタリングプログラムは、今後どのような価値を持つと思いますか?
ー より多様で本質的な選択を後押しし、自分の軸を基盤とした選択ができるように
インディビジュアリズムの背景には、様々な制約が解放され、選択の幅が広がっていることがあると思います。一方で、これは選択麻痺に陥る原因にもなっているのではないでしょうか。人は選択権を持つのは好きですが、実際に選択するのは嫌いな生き物だと考えています。そして、実際に選択しなければいけない時が来ても、あまりに選択肢が多いため、みんなに当てはまると考える「ベストプラクティス」や「成功法則」を見つけようとします。しかし、当然ながらコンテキスト依存でない法則は滅多になく、これでは思うようにいきません。うまくいったとしても、みんな同じ法則を採用するため、その瞬間に差別化としての価値はなくなってしまいます。
そこで、個人にカスタマイズされたメンタリングプログラムは、より多様で本質的な選択を後押しするという意味で価値があると思います。なかなか決断しにくい問題や、何を決断すればいいのかもわからない状況などをメンタリングプログラムによって解決できると思います。そして、そのうえでベストプラクティスではなく、自分の軸を基盤とした選択ができるようになるのではないでしょうか。
私の好きな言葉に、“Be yourself, everyone else is already taken.” (自分自身になるんだ、他の誰もかれもすでに取られている)という言葉があります。アイルランド出身の詩人・作家・劇作家であるオスカー・ワイルドの言葉です。自分は自分らしくいることはできますが、他人以上に他人になることはできません。ベストプラクティスや成功法則、他人の在り方ではなく、自分の軸を基盤とした選択は、「違うこと」を中心とした戦略を持たせる第一歩となるはずです。そして、その戦略を通じて、「違うこと」が強みになり、社会全体の本当の意味での多様性を生み出す一助になるのではないでしょうか。
エニーに参加して最も成長したこと
ー 殻に閉じこもっていたが、様々な人に声をかけ自分をオープンにすることができた
エニーに参加することで、他人に対してオープンになることができました。自分の軸や、確固たる自己像がない時は、自分という存在を他人にさらすのが、率直に言って怖いこともありました。なぜなら、断片的な自分のイメージを否定されることに恐怖を感じたり、他人を羨んでしまうのでないかと思っていたからです。
しかし、エニーを通じて自分の基盤となる特性を深堀りすることで、自分をオープンに表現することができるようになりました。実際に、以前はほとんど人と会わなかったにもかかわらず、エニーのプログラムが進むにつれ、様々な人に声をかけ、お互いを深く知り合えるような話ができました。根っこがあるからこそ、そして「ここは守られる」というものがあるからこそ、殻から出ることができたと思います。そして、自分自身を肯定するため、他人をやみくもに否定することも減ったと感じています。